和歌の世界の月を詠む ~月と百人一首 その1~
こんにちは。月よみ師®の静花です。
今日の月は、月齢9日。昨日は上弦の月でした。
7時54分しし座からおとめ座に移動。
おとめ座のときには、身の回りや健康を整えることを意識してみましょう。
この時期は1年で一番気持ちの良い時期ですね。
暑すぎず寒すぎず、新緑が美しく、心地良いそよ風が吹いていく。
まさに『風薫る』季節ですね。
『風薫る』は、初夏の季語。
このような日本語の言葉の表現、美しさにいつも感銘を受けます。
風の表現、季節や情景など様々な表現があります。
たとえば風の付く言葉を上げてみると、そよ風、つむじ風、向かい風、追い風、風花……など、耳にしたことのある言葉が一つはあると思います。
このような言葉を目にしただけで、目の前にその情景が浮かびますね。
日本語の美しさを味わえる一つに『和歌』がありますね。
その和歌と月のつながりを今月から紐解いていこうと思います。
今回は『百人一首』の中の月にまつわる歌を探してみました。
(参考・引用文献 『よくわかる百人一首』 監修:中村菊一郎 日東書院)
いつの時代も月は風情が感じられますね。
百人一首のなかに、月にまつわる歌は十二首ありますが、今回は、三首取り上げます。
あくまでも、本を基に私個人が行った考察ですので、違った考えは当然あると思われます。ご了承ください。

望郷の思いと月
天の原ふりさけ見れば春日なる
『よくわかる百人一首』 監修:中村菊一郎 日東書院 より引用
三笠の山に出でし月かも
――阿倍仲麿『古今集』巻九・羇旅――
【現代語訳】
大空をはるかに見渡すと、美しい月が出ている。
あの月は昔、故郷の春日にある三笠の山に出ていたのと同じ月なのだなあ。
阿倍仲麿は717年、19歳のときに遣唐留学生として唐に入りました。そして、玄宗皇帝に気に入られ30年以上におよぶ滞在の後に、他の遣唐使と共に一緒に日本に帰る決意をします。
唐の友人たちが送別会を開いてくれた夜、美しく昇った月を眺めて、この歌を詠んだそうです。
当時の遣唐使たちにとって船で異国へ渡るのは、今と違い本当に命がけでした。無事に予定通りの場所へたどり着けるかどうか全く不確かな過酷な船旅でした。
そのため奈良県の春日山のひとつである御蓋山(みかさやま)ふもとで、長い航海の安全を神に祈る習慣があったそうです。
故郷の景色を思い出し、これからの旅路の安全祈願をしたのでしょうか。
遣唐使の出航時期の多くは、旧暦の7月か8月のようなので、おそらく現在でいえば8月、9月。美しい月との表現から、満月(満月前後)でしょうか。
中秋の名月を鑑賞する風習は、中国唐代の記録に見られるそうですから、もしかしたら、別れとお月見を兼ねた宴の可能性もあるかもしれませんね。
そう考えると、みずがめ座満月、またはうお座満月でしょうか。
みずがめ座の月なら仲間との大切な時間を分かち合うひととき、うお座の月なら国を越えての一体感や祈りを込めているのかもしれません。
実際のところ、帰国の航路では難破し、唐の南辺(ベトナム付近)に漂着。その後唐へ戻り、二度と日本の地を踏むことなく唐で亡くなられたようです。
祖国を思いながら、幾度となく眺めた月はきっと美しく優しい光を放っていたことでしょう。
愛しい人を待ち焦がれた月
今来むといひしばかりに長月の
『よくわかる百人一首』 監修:中村菊一郎 日東書院 より引用
有明の月を待ち出でつるかな
――素性法師『古今集』巻一四・恋四――
【現代語訳】
すぐ行こうと、あなたがいってきたばかりに、
九月の長い夜の、待ちもしない有明の月が出るのを待つことになってしまいましたよ。
旧暦9月なので、現在でいう10月でしょうか。
有明の月とは、夜更けに出て、夜が明けてもまだ空に残っている月のこと。
作者は男性ですが、女性の気持ちを詠んだ歌です。
当時は通い婚。恋する女性は、ひたすら相手の男性が来るのを待つ時代。
あなたが来るって言ったから、今か今かと待ち焦がれていたら、夜更けに月が昇り、しらじらと夜が明ける時間になってしまったじゃないの。
というような、逢瀬をすっぽかされたうらめしい気持ちを歌っていますね。
秋の夜長。夜更けに月が出てくるということは、満月過ぎということ。
夜が明けてもまだ空に白く残っているわけですから。
下弦の月近くなので、ふたご座、かに座、しし座辺りでしょうか。
この歌を詠んだのが、男性という点からも考察。
一般的に、当時の男性からみた女性は弱きもの。
今の時代のように男性と同様に働いてはいないし、歌に詠まれるような女性は高貴な身分の女性。たくましく立ち向かっていく女性というよりは、愛しい殿方を待ちわびて涙を流すか弱き女性の方が絵になりますよね。
そう考えると、軽やかな知的イメージのふたご座やプライドを胸に誇り高いイメージのしし座よりも、女性らしいイメージが強いかに座の感情的な思いが前面に出ている歌なので、かに座の月の方が合いそうです。
物思いにふける月
月見れば千々に物こそ悲しけれ
『よくわかる百人一首』 監修:中村菊一郎 日東書院 より引用
わが身ひとつの秋にはあらねど
――大江千里『古今集』巻四・秋上――
【現代語訳】
月を見ていると、いろいろとかぎりなく物悲しく感じられることだ。
私ひとりに来た秋ではないのだけれど。
夜空には、美しい「月」、そして、その月の下には思いわずらう「わが身」、そして「千々」と「ひとり」を対比させて、広い視野から個の思いへ視野を移動させています。
秋の月夜。
秋になると暗くなるのが早くなり物思いにふける時間が長くなりますね。
わが身に訪れる思い通りにならぬ様々な出来事に思いをめぐらせ、ため息をついているのでしょうか。
まるで、自分だけに寂しさをもたらす秋が来たように思ってしまうほどなのでしょう。
広い夜空に、煌々と光を放つ美しい月とみじめな自分の姿といった様子でしょうか。
秋の月というと、中秋の名月ですね。
中秋の名月は、旧暦8月15日なので9月の満月ということになります。
9月の満月はうお座の満月。
うお座は、愛、一体感、ゆるしや祈りを表します。
うお座の美しく澄んだ月が、作者の辛い心情を察するように優しく照らしています。
いろいろな思いをめぐらせ混とんとした自分をゆるし、どんな自分でも受け入れ愛することを伝えてくれるのではないでしょうか。
きっと、月を眺めることで心穏やかにしてくれるでしょう。

今も昔も人の心は変わらないものですね。
友と呼べる仲間との時間や望郷の思い、恋の辛さを筆にしたり、わが身の辛さを詠んでみたりしている姿は、ごく身近な人物のように感じます。
今回、月を手掛かりに和歌の世界に入ってみましたが、共感できる歌ばかりで少し敷居が低くなったように感じます。
時代や社会は変われど、いつの世も月と人々の結びつきは強いものとよくわかります。
これからも日本文化の豊かさに触れていきたいと思います。
今日も空を見上げてみてください。
月からのメッセージがもたらされるかもしれません。
当時の歌人も同じ月を見上げていたと思うと、更に月の存在の奥深さや神秘さを感じさせてくれます。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
静花